限界を超えるプロジェクト

Ninja250/300開発プロジェクト

プロジェクトストーリー

2008年、世界を驚嘆させたバイクがある。
「スーパースポーツイメージの外観」と「運転しやすさ」を兼ね備えるという新しいコンセプトで世界的なヒットを記録したKawasakiの「Ninja250R」である。
それから数年、国内外の競合メーカーの参入も噂されるなか、新しいプロジェクトがスタートした。
2代目「Ninja250/300」の開発──。
川崎重工のものづくりの誇りを賭けたチャレンジが始まった。

PROJECT MEMBER

  • 田中 邦博

    田中 邦博(たなか くにひろ)

    モーターサイクル&エンジンカンパニー
    技術本部
    第三設計部 第一課 課長
    1996年入社

  • 福若 貴嗣

    福若 貴嗣 (ふくわか たかし)

    モーターサイクル&エンジンカンパニー
    サプライチェーン本部 調達統括室
    グローバル調達部 第二課 主事
    1999年入社

  • 岡本 康秀

    岡本 康秀(おかもと やすひで)

    モーターサイクル&エンジンカンパニー
    サプライチェーン本部 生産技術部
    組立技術課
    2007年入社

  • 立石 研一郎

    立石 研一郎(たていし けんいちろう)

    モーターサイクル&エンジンカンパニー
    品質保証本部
    モーターサイクル品証部 M3課
    2010年入社

革命的な成功車の2代目開発。
走り始めた重責プロジェクト。

Ninja250R。川崎重工のモーターサイクル&エンジンカンパニーが誇る、この革命的な世界戦略車が最初に発売されたのは2008年のことだ。特にインドネシアやブラジルなどの新興国では発売されるやいなや、喝采を浴びた。これらの国々では、近年の経済発展に伴い、通勤・通学用として小型で廉価な二輪車が増大していたが、川崎重工はその市場に、「250cc」という中型クラスを投入した。それも、"Fun to ride"を追求したKawasakiらしい趣味性の高いスポーツバイクだ。これが支持された。Ninja250Rは、単なる移動手段ではない「楽しめる」プレミアムバイクとして、一定以上の所得者層ユーザーの心をとらえ、爆発的にヒットした。まさにWantsの掘り起こしによって、新たな市場を切り拓いたのだ。

それから数年。競合メーカーの突き上げを受けながらも、Ninja250Rは世界市場でなお輝きを放っていた。田中が、そのNinja250Rのフルモデルチェンジの開発リーダーを打診されたのは、そんなときだった。「2代目Ninjaの開発を?」、田中は思わず聞き返した。確かに、売れ行きはなお好調ではあるものの、他社の動向によっては競争力を落とすことになりかねない。そこで、市場でのKawasaki支持が高い間に次のNinjaを出すことにより、ファンの心をより強くつかむ。戦略としてはよく理解できるが、その挑戦を引き受けるには並大抵ではない覚悟が求められた。川崎重工の二輪車で最も売れている世界戦略車Ninja250Rの2代目の開発。会社の収益に大きく貢献をしているモデルだけに、経営に与えるインパクトも大きい。「絶対に失敗が許されない」というプレッシャーは半端ではなかった。しかし、田中はほぼ二つ返事で引き受けた。入社以来650ccを中心に開発に携わってきた田中だが、Kawasakiとの出会いは大学時代に初めて自分で買ったZXR250。初めてスポーツバイクを買ったあの時に受けた感動を、今度は世界中の人々に与えられる立場で関われるとは、なんと光栄なことだろう。かくして、田中をリーダーとする重責プロジェクトが走り始めた。

世界を巡って肌で感じた
Ninjaへの想像を超えた期待。

プロジェクトのミッションははっきりしていた。初代Ninjaのコンセプトはそのままに、それを超える進化を果たすことにより、世界市場を席巻し、他社の手が届かない圧倒的な優位性を獲得することである。そのために田中がまず手がけたのは、徹底した市場調査だった。日本国内はもちろん、欧米、ブラジル、そしてインドネシアと、Ninjaの市場である世界各地を訪ねた。それが、田中の意識を大きく変えることになる。

「新興国の大きな市場であるインドネシアやブラジルに行くと、Ninjaファンの熱い想いがダイレクトに伝わってきました。販売店に来ていたユーザーが、改造した自分のNinjaをまるで宝物のように自慢気に見せながらNinjaについて語るんです。国内ではエントリー車である250ccクラスのバイクが、ここでは憧れのバイクなんだと実感しました。また日本国内においてはエントリーバイクでありながら、購入者の皆さんに選んだ理由を聞くと、『これで良かった』ではなく『これが良かった』と言うのです」

各国を巡りながら、田中は250ccに対する今まで持っていた概念が変わるとともに、自らのモチベーションがどんどん上がっていくのを感じていた。会社の収益に貢献するバイクを開発する前に、まず、この世界中にいるNinjaファンの期待にいかに応えるか。現地で実際に生身のユーザーと接し、自身の目で見て、耳で聞き、田中はKawasakiのモーターサイクル開発担当として、想像を超える大きな宿題を受け取ったのだ。「まずは、これを開発メンバー全員に伝えることからだ」、田中は、はやる想いとともに日本へ戻った。自分の胸に点火されたフルスロットルの情熱を、皆と共有するために。

凄まじいプレッシャーのなか
導き出した異例の設計プラン。

帰国した田中は開発メンバーとともに、各地での調査をもとに新生Ninjaのイメージを固めていった。そしてたどり着いたのが、各国の異なる嗜好のターゲットカスタマーの要求を極限まで満足させるというコンセプトだ。欧米などの先進国向けの「エントリーモデル」、そしてインドネシアやブラジルなどの新興国向けの「ハイパフォーマンスモデル」という大きく異なった2つの方向性を両立させるという、1機種のバイクとしては異例の設計プランだった。

まず、これまで一つの車体に250ccエンジン1種類だけ載せていたのを、300ccのエンジンもラインナップすることを決断した。2種類のエンジンを連携させながら同時に開発するということは、当然のことながら、開発や製造体制の確立に費やすパワーを何倍も要する。車体もそれに合わせて両方のエンジンを載せる対応を求められる。また、たとえ新興国のハイパフォーマンスモデルに見合ったグレードアップを図っても、先進国のエントリーモデルとして買ってもらえるコストに抑える必要がある。「ここまでやる必要があるのか?」、さすがにメンバーから異論が出た。それを受けて田中が言う。

「ここまでやるからKawasakiなんだ」

その一言で、メンバーの目の色が変わった。期待とは、応えるものではなく超えるもの。「Kawasakiはここまでやるのか」と、世界中のユーザーを驚かせるバイクをかたちにする──。ゴールが共有できた瞬間だった。

そして、詳細設計がスタート。国ごとに性能や装備を変え、ターゲットカスタマーの要求にフィットするよう設計する。言葉にすれば簡単だが、それは至難の技だった。開発すべきアイテムは膨大な量となり、生産ラインも複雑になる。試作車一つとっても数十台必要な上に、開発途中における変更や調整、見直しに伴って、作業は級数的に増えていく。また、開発アイテムが増え、共通部分が少なくなればなるほど、コストは跳ね上がる。仕様のバリエーションとコストのバランスも、ぎりぎりまで追求する必要があった。300ccのエンジンはわずか50ccの排気量の増加だが、出力が2割以上アップするため、根本から設計し直しつつ、また250ccのエンジン自体もモデルチェンジに伴い性能向上を盛り込んでいかなければならない。

こうした多岐にわたる課題を一つひとつクリアし、設計メンバーは根気強く開発を進めていった。世界中で新生Ninjaを心待ちにするユーザーの顔を思い浮かべながら。

信念が支えた部品開発。
文化の違いを超え、ともに歩む。

こうしてプロジェクト始動から数カ月後、ついに初期設計図面ができあがった。と同時に、モックアップ(原寸模型)も完成。それを見たメンバーから、歓声にも似た声が上がる。「かっこいい、これは売れる」。しかし同時に、苦笑いしながら「でもコストは計画通りに収まるのか?」との声も聞こえた。そう、設計段階では、世界中のファンの期待を超えるバイクにしようと、250クラスではあり得ないほどの仕様を盛り込んだ。スタイリングも、従来の250では考えられないハイクオリティを追求した。この盛りに盛ったハイエンド設計を、どうやって250クラスの価格帯に収まるよう実現するか。それも短期間で。部品開発に生産技術。ここからは、コストと性能を高次元で両立させる、第2フェーズとも言える戦いが始まる。

まずその初戦となったのが、実際に使用する部品を用いての試作車の製作だ。今回のプロジェクトでは、部品についてもすべて一から開発が必要だった。その部品開発において、海外のサプライヤーとの交渉にあたったのが調達部の福若だ。福若は図面を見てすぐ、厳しい仕事になると直感したという。

「納期の短さ、性能の高さ、コストの厳しさ。その3条件をどうやってクリアするか。まるで頂の見えない山に挑むような思いでした」

Ninjaの部品は、インドで多く生産されている。言葉も通じ難い異文化の地で、高い性能を求められるNinjaの部品を作らなければならない。福若は、設計者が図面に書いた性能や形状に近づけようと、幾度も試作を重ねていく。しかし、一筋縄ではいかない。新規開発であることから、予期せぬアクシデントが頻発。進捗も思うように管理できず、スケジュールはどんどん後ろへ倒れていく。開発部門と現地スタッフの間で板挟みとなった福若は、待ったなしのスケジュールの中、懸命に部品開発を続けた。その福若が窮地を乗り切れたのは、「いいモノをつくるには、信頼関係が最も大切」という信念と、その実践だった。たとえ言葉が満足に通じ難かったとしても、こちらの真剣な想いが伝わりさえすれば、彼らもそれに一生懸命に応えてくれるはず。福若は、こちらからの要望を一方的に伝えるのではなく、お互いの理解が深まるよう丁寧なコミュニケーションを心がけ、開発を進めていった。そして徐々に、両者がベクトルを同じくしたものづくりができるようになり、部品開発も何とか軌道に乗せることができた。

一台の組み立て間違いも出さない
完ぺきな製造ラインを目指して。

設計図面を見て頭を抱えたのは、生産ラインの確立を担っていた岡本も同様だった。なかでも岡本を悩ませたのが、短い納期のなか、国ごとの微妙な仕様変更を実現するための作り分けの多さだ。岡本は、さっそく生産拠点であるタイに飛び、実際の製造ライン、担当工員などを確認しながら、組み立て方法について検討を始めた。

「生産効率も重要ですが、最も気をつけなければならないのは、品質の維持と、組み立て間違いを出さないこと。作り分けが多ければ多いほど、間違いが発生する可能性が高くなりますから」

岡本は、工程の立案、製造ラインの構築、人員配置の工夫など、これまで培ってきたノウハウをすべて引き出して対策を講じた。一方で、開発の進行に伴い、製品の仕様はどんどん変わっていく。その都度、現地スタッフと協議しながら、部品形状の変更に対応して工程を調整し、生産ラインの再構築をしなければならなかった。

「仕様がどんどん変わるのは確かに厳しいものの、設計サイドの意図も理解できます。自分がつくったラインから生まれたバイクが多くの人に喜ばれる存在になる・・・。そう考えると、やる気が湧いてきました」

そうして岡本は、タイ語しか話せない工員とのコミュニケーションに悪戦苦闘しながら、量産試作に向け、生産体制を整えていった。

Kawasaki品質を守るために
"攻めのガード"で挑む。

そして、初めて実際の製造ラインで車両が組み立てられる量産試作の段階を迎える。その際に問題となった設計品質や製造品質は細部まで解決していき、最終的に出荷監査となる。量産本番前の最終チェックであるため、一つのミスも残せない非常に重要な関所である。

入社3年目で初めて出荷監査の取り仕切りを担当する品質保証本部の立石は、現地の工員たちによって徐々にバイクが組み上がっていく様子を片時も見逃さないよう、ラインを一心に見つめていた。量産試作を始めとした開発の各ステージで、テスト車や生産工程を厳しくチェックし、不具合やミスを未然に防ぎながら高い品質を守り抜いてきた、いわばKawasakiの"ゴールキーパー"である。

立石はプロジェクトに配属された当初、これまでの基準を基に製品チェックを行うのが仕事だと考えていた。しかし、先輩や上司の背中を見ているうちに、品質保証はただの「守りの仕事」ではないと気づく。

「バイクの生産は、各部門のプロによる準備のもとに成り立ちます。それらの準備がうまく連携・機能し、Kawasaki品質を満たした車両生産ができることを確認するため、設計図面から生産工程、完成車までを俯瞰して問題点を抽出し、問題解決のために部品の作り方、また、部品の取付け方などの細かいところまでブレイクダウンする、という姿勢が必要なのです」

立石は、プロジェクトのなかで貪欲に考え方やノウハウを吸収していった。初めてタイの工場に出張して、量産試作から出荷前の品質確認を行うという貴重な経験も積んだ。

懸念材料の消しこみは、タイ工場での量産直前まで続けられたが、設計から品質保証まで開発メンバーすべてのベクトルがそろうことにより、無事に出荷監査をクリアすることができた。そして量産がスタート。新生Ninja250/300は各国に向けて続々と出荷されていった。技術、コスト、スケジュール。それらすべての課題を乗り越え、"Kawasaki"ブランドの誇りをかけて戦い抜いたメンバーらの想いとともに。

自らの意志で挑むものづくり。
その先に、ユーザーの感動がある。

田中、福若、岡本、立石をはじめとする開発スタッフが手がけたNinja250/300は、インドネシアで2012年8月、日本では2013年2月に発売された。インドネシアではたちまちバイクファンの間で話題になり、発売当初から数か月単位の納車待ちが続き、1年半を経てようやく供給が追い付いてくるという大ヒットを記録した。また、海外でのヒットを受け、噂が噂を呼び日本では正式発売前、予告段階で予約が殺到。わずか3日で販売計画台数に達するという爆発的な売れ行きとなった。250ccの基準を大きく変えるスタイリングとハイクオリティを実現したことに加え、それぞれの国や地域におけるユーザーの声や潜在ニーズに応えたことが、ヒットの要因だった。マスコミからは「日本のものづくりの復活」という観点で注目を浴び、取材が後を絶たなかった。

発売後、開発メンバーたちはインドネシアやブラジルを調査のために訪れたが、彼らを待っていたのは、現地販売店の歓迎と、現地ファンたちの興奮だった。販売店は「Congratulation!」と握手を求め、来店していたファンは新生Ninjaの魅力について熱く語り始めた。開発メンバーはその様子を見て、「ここまでやってよかった」と本当の意味で達成感を感じた。

「どうだ、文句あるか! と言いたいくらい自信をもった商品に仕上がったと自負しています。とはいえそれに慢心しているわけにはいきません。Ninjaの開発は、これで終わったわけではなく、もうすでに"次のNinja"の進化に向けてのアクションは始まっています。私たちの仕事に終わりはありません」

そう話す田中の表情には、それでもひとつの仕事を成し遂げた晴れやかさと、日本のものづくりの底力を世界に訴えることができたという誇りが感じられた。

そしてその誇りは、田中一人のものではなく、開発メンバー全員が共有するものに違いない。自らの意志によって、ユーザーの期待に応えるだけでなく、それを超えるものづくりへ挑む。それこそが、"Kawasaki"。Ninjaの開発にすべてを注いだ戦いの年月は、さらなる進化へ挑む原動力として一人ひとりの心に刻まれている。