挑戦者ファイル

08 橋元 篤志 プラント・環境カンパニー 環境プラント総括部 環境プラント部 装置技術課 基礎工学研究科 システム人間系専攻修了 2000年入社

世界初のプラント。中国現地スタッフと不具合を巡る厳しいせめぎあい。

世界初の画期的なゼロエミッションプラント。
成功への意欲を胸に、ただ一人中国現地へ。

「いったいなぜこんな不具合が起こるのか、その原因究明と対処法を早急に明らかにしてもらいたい」

2009年秋、中国・安徽省銅陵市。川崎重工の環境部門から一人、現地合弁会社へ出向していた橋元は、現地のセメントプラント責任者から、激しく詰め寄られていた。

さかのぼること1年半。2007年4月、川崎重工は中国合弁事業の一環として、CKK(※1)システムの開発プロジェクトをスタートさせた。合弁パートナーであるCONCHグループの中核を担う中国最大手セメントメーカーとの協同プロジェクトだ。このシステム開発を任されたのが橋元だった。これが成功すれば、完全なゼロエミッションが実現できる世界初の画期的なシステムとなる。橋元はやりがいと責任の大きさに胸がたぎるのを覚えた。

最初の2年間は日本国内で開発業務にあたったが、川崎重工としても初の試みである上に、橋元自身、セメントプラントに関する知識も経験もほぼ無いに等しい。そこで、社内セメントプラントのスペシャリストの協力を得ながら、川崎重工の有する技術を洗い出し、廃棄物処理プラントとセメントプラントのベストマッチを模索。川崎重工ならではの技術が詰まったプランにまとめあげ、機器の設計や仕様書の作成、さらには機器調達先の選定サポートなどを手がけた。

そして2009年6月。建設工事と試運転業務のマネジメントというミッションを携え、橋元は中国現地へ赴任した。環境部門からの出向者は橋元ただ一人。すぐそばに頼る相手もいないなか、合弁会社のスタッフや、セメントプラントのエンジニアとともに、建設工事を進めていく。現地スタッフは誰も経験したことのないプラントなので、橋元を頼って何でも尋ねてくる。橋元はその度に、自分の指示で多くの人間が動く重圧をひしひしと感じながら、それでも一つひとつ判断を重ねていった。

建設工事が一段落し、いよいよ試運転の日を迎えた。ガス化炉に火をともす。が、うまく動かない。日本と中国で廃棄物の性状が異なることが原因だった。実際の性状に合わせて送り込む空気量を調整するなど改善を図るも、炉内の温度はなかなか安定しない。試運転後に行う日々の反省会は、橋元にとって針のむしろのような場となった。

とくに、現地のセメントプラント責任者からは厳しく不具合対応を要求された。それも至極当然だった。現地スタッフにはその後何年、何十年にもわたってそのプラントを用い、事業を継続発展させていく責任がある。ちょっとやそっとでは納得してくれない。「世界に誇れる良いプラントをかたちにしたい」という想いがあるからこその厳しさ。橋元もまたその想いを共有しながら、品質確保に向けた、川崎重工の一員としての戦いを続けた。

現場で起こっていることから逃げてはいけない。
国境を越えて共有した想いが結実した瞬間。

一方で橋元は、現地における仕事の進め方や意思決定方法の違いにも苦しめられていた。中国特有のトップダウンの意思決定により、突然工程が劇的にスピードアップすることが多々あったのだ。そうなると、性能や品質を確保するための確認が後手にまわり、コントロールが極めて難しくなる。一度は橋元も、「これが中国流だ」と現地のやり方に流されかけた。

しかし、試運転中のプラントが異変を起こしたことで、目が覚めた。「これがもし大事故につながるような異変だったら・・・」。現場で起こっていることから逃げてはだめだ。文化の違い、仕事の進め方の違いという問題ではない。「安全」という概念は世界共通。これまで一緒に仕事をしてきた仲間の命を絶対的に守るプラントを造るのが、自分に課せられた使命。

もう橋元に迷いはなかった。日本側にサポートも要請しながら、橋元は川崎重工サイドの発言力を強め、たとえ工程がどうあれ、安全・品質確保のための確認を徹底して実施する体制を敷いた。それは結果的に、中国合弁会社サイドの意識を変えることにもなった。

そして試運転についても、度重なる調整の末に、ようやく炉内の温度が安定。実稼働レベルの運転が可能な状態へこぎ着けた。橋元は、ほっとするとともに、「どうだ、ちゃんと動いただろう!」という思いで、周囲の現地スタッフたちを見渡した。皆の顔に笑みがこぼれていた。そこにいたのは、お互いに意見を戦わせながら、ともにこの世界初となるプラントを造りあげた、他でもない「仲間」だった。橋元に厳しく詰め寄り続けてきた現地セメントプラントの責任者は、橋元にこう言いながら大きくうなずいた。「ヘンハオ!(GOOD!)」。橋元の全身を、言いようのない達成感が包んだ。

2010年4月、橋元が手がけた初号機は、無事に営業運転を開始した。

新興国におけるセメント需要拡大と、都市部でのごみ処理問題。その2つを同時に解決するCKKは今、国内外から大きな注目を浴びている。その報せを目にする度に、橋元はかつて中国現地で苦しみながらも、戦い抜いた価値があったと実感する。「ヘンハオ!」、そう自分に言ってやりたい気持ちとともに。

  • ※1)CKK=CONCH Kawasaki Kilnの略で、ごみや下水汚泥をガス化し、セメント生産過程の熱エネルギーとして有効利用する「環境配慮型ごみガス化システム」。

学生時代の私

学生時代、あまり勉強はしなかった方ですが、大学院では流体工学系の研究室で、キャビテーションに関する研究に取り組みました。ここで、とにかく現象を観察して自分の目で見て考え、判断するスタイルを身につけることができました。今でも現場を重視して自分の目で見ることを大事にしており、設計業務だけでなくトラブルシューティング、維持補修の提案の際の方法論として役立っています。

入社の決め手

環境問題やエネルギー問題など、これから先ますます世界が直面していく課題を解決することで、達成感、やりがい、満足感、誇りを持てそうだと感じられたのが一番の理由です。大学の先輩が何名か入社していて、社風や働きやすさに関する評判が耳に入ったこともあり、入社を決意しました。

チームメンバーから

利弘 淳

安徽海螺川崎工程有限公司
設計部 部長助理
2001年入社

利弘 淳

Jun Toshihiro

中国現地で、ともに汗を流しました。

当時は橋元さんの1年後輩として、日本国内側からサポートを行っていました。最終工程では私も現地入りしました。日本と中国、両方のスタッフが入り交じる現場で、やりにくい面もありましたが、国境や文化の違いを超えて一体感の感じられる良い雰囲気だったと感じています。とくに橋元さんは、仕事場に楽しい空気を作るのがうまい人で、何かとストレスを感じやすい海外の長丁場の現場では、とても助けられました。
現在は、橋元さんの後を引き継ぎ現地合弁会社に出向し、当時の現地スタッフと共に12号機目のCKKシステムの設計を行っています。橋元さんの当時の苦労が実を結び、CKKシステムは順調に拡販しています。